第2回 ぽんぽん船の軌跡

 出雲市内では、これまで、農業分野での障がい者就労の事例がほとんどありませんでした。農業生産法人(株)桃源の直売所に特定非営利法人ぽんぽん船のクッキーを納めていた縁を発展させて、平成21年9月より、農業生産法人(株)桃源では、障がい者自立支援事業所ぽんぽん船を利用している皆さんの農作業訓練を受け入れ、障がい者が農業生産を一部を担う、施設外就労の取り組みが始まりました。現在、指導員が1名と利用者さん3名が、週4回、1日4時間作業をしておられます。

 この取り組みを進める上で施設・事業所、企業、利用者がどのような思いで、事業をスタートしたのか、そして 何が変わってきたのか。関係者の皆さんの”生の声”を是非、ご覧ください。

インタビュー1「ぽんぽん船」責任者

 今、行われている施設外就労の取り組みについて、障がい者自立支援事業所ぽんぽん船の責任者である柳楽好美様に、これまでの経緯や始まる前と今、そしてこれからの思いについて伺いました。

障がい者自立支援事業所ぽんぽん船を立ち上げられた経緯を教えてください。

 それまでは、多伎町内には障がい者の事業所というのがありませんでした。それまで、皆さんは町外の大田市や旧出雲市の施設を利用されていました。

 その頃に周辺の佐田町や大社町、湖陵町にも作業所ができていましたので、地元の多伎町の精神障がい、知的障がい、身体障がいの家族会などから「多伎町にも家から通える場所に障がい者の福祉施設があるといいね」という声が上がりました。そこで、旧多伎町の歯科診療所の建物を多伎町に増改築をしていただいて、建物が完成したのが平成14年の8月でした。丁度、今年の夏で10周年になります。

障がい者自立支援事業所ぽんぽん船の「ぽんぽん船」という名前の由来を教えてください。

 国道9号線を松江の方から車で来ると、初めて海が見えるのが多伎町なのです。多伎町は海もあるのですが、キララ多伎に代表されるように海が綺麗で有名です。準備委員会の方からも「海にちなんだ名前がいいね」ということを言われ、海にちなんだ名前で皆さんの活動にあった名前ということで「ぽんぽん船」になりました。

 社会では、高速船のように目的地に早く到着することやフェリーのようにたくさん荷物を積めるというようなことが求められ、評価されているのですが、ですが、障がいのある方は速くということやたくさんということは中々難しいです。だから、自分の持てるだけの荷物を持ち、自分のペースで、ゆっくりと目的地に荷物を運べる、「ぽんぽん船」のように社会の役に立ちたいという気持ちで通ってこられる方の気持ちを汲んで、ここの事業所の名前を「ぽんぽん船」にしました。

ぽんぽん船のオリジナルクッキーの販売をどのように拡大していかれましたか。

 まず、頑張ったら頑張った分だけお金がもらえるような仕組みを作りたいと思っておりました。ぽんぽん船の利用者の規模で、食品関係の仕事をしようと思ったら、クッキー作りが一番しっくりきました。

 最初は、キララ多伎のキララベーカリーのアンテナショップにクッキーを商品として置かせてもらいました。それ以外にも、トヨタカローラの担当者の方にお客様にお出ししているお菓子を、ぽんぽん船の利用者さんに作っていただき、その手作りのオリジナルクッキーをお客様にお出ししたいというお話もいただきました。そして、実際に土日にトヨタカローラにお越しくださったお客様が、クッキーを食べたら、あまり美味しかったので、その包装紙の裏を見たら「ぽんぽん船」と書かれおり、それを見られたお客様がクッキーを注文をしてくださったりと、本当に多くの人の「ぽんぽん船のオリジナルクッキーは美味しい」という評判が少しずつ拡がってきました。

 そのがやがて、いちじく温泉やいちじく館、出雲歴史博物館などに商品を置いてもらえることに繋がっていき、やがて農業生産法人株式会社桃源様とも取引をさせていただくことに繋がっていきました。

農業生産法人株式会社桃源様と施設外就労を始めたきっかけを教えてください。

 元々は工賃倍増計画のモデル事業の中で、中小企業診断士の方が「農業生産法人株式会社桃源」という直売所があるけど「ぽんぽん船で作ったクッキーを置いてもらったらどうか」という話しがありまして、まずは、事業所で作ったクッキーを桃源様の直売所に卸して、販売をお願いしておりました。

 実際、その時に農業という方向性はあまり考えていなかったのですが、その頃に世界的な経済不況で事業所に来る仕事がパタッと無くなりまして、「他に何か新しい仕事はないかな」と思っていたところに、桃源様から「農林水産省経営人材育成課の『障がい者アグリ雇用推進事業』という事業に一緒に応募しませんか」というお話しがありました。

 利用者さんに「農業の仕事のお話しがきていますけど、どうしますか」と伺ってみたところ「やってみます」という前向きな返事が返ってきました。少し不安があったのですが、桃源様からも「これはモデル事業なので、ぽんぽん船でできることとできないことを一緒に見つけながら進めていきましょう」という温かい言葉をいただき、「それでは、やってみよう」ということに決まりました。ですが、いきなり利用者さんだけで、農業をということは難しいので、指導員が配置できる支援スタイルということで、施設外就労を始めました。

施設外就労に対する不安はありましたか。

 利用者さんに考えを伺ったときに「やります」と言われたのですが、当然、農業に対する不安があったと思います。また、指導員は指導員で、実際に現場に行って、農業でどんなことが利用者さんにできるのかという漠然とした不安もあったと思います。

 また、桃源様は、実際にビニールハウスでトマトの生産する仕事をどこまで障がいのある方ができるのかという、それぞれの立場で皆さんがやる前は不安があったと思います。

 しかし、その不安以上に「不況で仕事が少ない」という現状に対する危機感が、指導員や利用者さんも感じておられ、最終的には利用者さんの「やります」という、そのチャレンジ精神を尊重にして、農業という新しい分野に進む覚悟を決めました。

施設外就労を行うことでどう変わってきましたか。

 モデル事業も今年で3年目なるのですが、「この仕事は難しいから利用者さんにできない」「この仕事はできる」というように仕事の振り分けをしながら、お互いに手探りで前に進んでおります。当然、仕事の中身も1年目より変わってきていますし、仕事のやり方も変わってきています。最初に桃源様に行った利用者さんは、得意や不得意はあまり関係なしで、一律に同じ仕事をしていたのですが、実際に仕事をやってみると、利用者さん一人ひとりに得意や不得意が見えてきます。それをきちんと整理して、得意な分野を活かす指導員の配置であったり、仕事が円滑に行える段取りをできるような仕組みづくりができるようになってきました。

 このモデル事業をやったことで、桃源様でしか得ることができない経験や機会の提供などの「就労の力」を養うことにできるようになってきました。

 そうしてお互いにやり取りをしているうちに、桃源様からは「ぽんぽん船から来てもらわないと仕事が困る」というぐらいに期待をしていただき、利用者さんの仕事に対するやる気に繋がっており、ぽんぽん船でも「桃源様の仕事が無くなると困る」という、お互いの深い信頼関係ができ上がりました。